まるごと編集部が気になる人・もの・ことを“深”くお伝えするインタビュー記事の新コーナー【SH!N シン】 “新”しい発見、“心”にせまる“真”実、その人をつくる“芯”、色々な“シン”に出会うページです。
新潟の特産品と言えば『笹団子』。ひと昔前には各家庭で作られ、その家庭ごとの味を楽しんだ笹団子ですが、今やその風習もなくなり“地元ならではの笹団子”存続の危機がじわり忍び寄っています。
今回は苦境に立たされている笹団子と、その状況を地域の活性化に転換する取り組みをご紹介します。
お話を伺った一人目は、〈江口だんご〉四代目社長 江口太郎さん
新潟の伝統的な和菓子とともに、現代風のお菓子も開発販売。和菓子と密接に関わる日本の伝統行事を大切にした活動も実施。
風化された笹団子の慣習
編集部(以下:編):最近、笹団子の材料となる笹やよもぎが取れないという話を聞きました。
どういった状況なのか教えていただけますか?
社長:取り手の高齢化と、需要と供給のバランスが崩れてきたことが要因だと思います。
まず取り手の高齢化は、各家庭で笹団子を作る風習が衰退したことで、若い世代にその慣習が受け継がれませんでした。
おそらく、今70~80代の世代が子どもの頃は5月5日の「端午の節句」になると、家族と一緒に笹やよもぎを摘んで、笹団子作りを楽しんでいた方が多かったと思います。
編:端午の節句と言えば柏餅のイメージがありますが、笹団子ですか?
社長:新潟では昔は笹団子や三角ちまきでお祝いしていました。笹団子の原料となるよもぎには邪気払いの意味があり、子どもの成長を願うお祝いには欠かせないお菓子として、古くから新潟に根付いてきました。
“その家の笹団子の味”というものがありましたが、その風習が薄れ、現在ではお菓子屋さんが笹団子を作る役目を担っています。
編:需要と供給のバランスについては、どのように変化したのでしょうか?
社長:現在、笹団子を食べる時季は端午の節句がある5月だけでなく、お土産需要として1年中食べられるようになりました。季節のお菓子ではなく年中となると、笹もよもぎも通年で必要になるため、需要と供給のバランスも昔とは変わってしまいました。
ですが未だに年配の方々は、5月になると遠くに住む親族や大切な人に笹団子を送っています。
編:笹団子を食べる意味が時代とともに変わってきているんですね。笹とよもぎは1年中収穫可能ですか?
社長:どちらも春〜初夏で、よもぎは新芽だけのものを使っています。
私たちは、県内の村上、下田、魚沼から仕入れていますが、品薄な状態が3年ほど前から続いています。
近頃では苦肉の策として、原料を一部輸入に頼っている菓子店もあると思います。
編:地元の特産品なので出来ることなら地元の材料で作ることが理想ですが、なかなか難しい状況なのですね。
新たな挑戦から産まれた笹団子
編:〈江口だんご〉では地元産の原料を使い、笹団子に込められた願いを形にした商品があると聞きました。
社長:2023年から『里宮大正餅(りきゅうたいしょうもち)山古志よもぎ笹団子』というプレミアム笹団子の販売を開始しました。これは幻のもち米と言われている「大正餅」と山古志産の笹とよもぎを使った笹団子で、元々2019年から販売していた『里宮大正餅笹団子』を山古志よもぎを使用した新たな商品として作りました。
編:幻のもち米ですか?
社長:父である三代目の「大正餅の草餅の味が忘れられない」という言葉をきっかけに作られた、昭和30年頃から幻となっていたもち米です。
絹のようになめらかでほどよいコシ、独特の旨味が特徴です。稲が長いため機械作業が難しく、2005年に地元の人による協力でイチから田んぼで育て、手植え、手刈り、減農薬、減化学肥料の特別栽培のもと復元に成功しました。
編:山古志産の笹とよもぎについても教えてください。
社長:3年ほど前に、〈山古志農泊推進協議会〉の小池さんから山古志地域で自生しているよもぎを使ってお菓子が作れないかと相談をいただきました。自然豊かな山古志ならではのよもぎは、無農薬で排ガスも掛からないところに自生していたため香りと味が濃く、とても質のよいものだったので、笹団子作りに挑戦しようと思いました。
編:山古志では笹とよもぎの採り手がたくさんいたのでしょうか?
社長:少なかったと聞いてるので、とても希少な山古志産のよもぎと、一部の笹を、通常の笹団子と分け、山古志ブランドとして販売することにしました。将来的には笹も全部山古志産を目指しています。
元となった『里宮大正餅』は、自然豊かな里山の「里」と〈江口だんご〉本店のある宮本町の「宮」を付け、思いを込めた名前にしていたので、地元を愛する気持ちも笹団子への思いも、山古志ブランドにぴったりだと思っています。
編:笹団子を大切な人に贈る文化はまだ残っていますし、この『里宮大正餅山古志よもぎ笹団子』から新たな笹団子の物語が紡がれていくような気がします。
お話を伺った〈山古志農泊推進協議会〉の小池裕子さん。
中越地震での被災と支援の経験から、地方創生や復興支援を継続。山古志地域の笹とよもぎを活用した事業を展開。
〝雑草〟に価値を見出し地域の宝へ
編:小池さんは元々、野草の活用に力を入れていたと伺いましたが、なぜ野草だったのでしょうか?
小池さん:山古志は美しい棚田や絶景があり、牛の角突き、鯉、棚田など、山古志に暮らす人達の生業がその素晴らしい風景を作っています。何か新しいものを作るのではなく、今あるものに価値を見いだせないかと思っていたとき、豊かな自然に自生している野草が邪魔者扱いされていることに気づきました。
編:一般的に野草は〝雑草〟として除草対象だったということですか?
小池さん:そうです。その野草の中から、商品化できるものはないかと模索していたところ、よもぎが候補として挙がりました。
編:そこからすぐに商品化されたのでしょうか?
小池さん:いえいえ、試行錯誤の日々でした。まず、山古志のよもぎがお菓子として活用できるか、江口社長に相談しながら加工作業を進めました。
よもぎの風味が最もよい状態になるよう、茹でたり乾燥したりを追求し、笹団子の商品化への一歩を踏み出しました。このときの取り手は私を含め地元の方2~3人だけ。
初年度は試作だけで終わりよもぎは150㎏ほどでしたが、2年目から製品化し、500〜600㎏、笹を1500枚ほど江口だんごに納品できました。
編:すごい!小池さんの本気度と思いが伝わってきます。
笹やよもぎが生きがいに!山古志地域の活性化へ
編:2022年に小池さんを入れて2人しかいなかった採り手が、2023年には5〜6人に増えたそうですが、どのようなことをしたのですか?
小池さん:採り手募集のチラシを作って山古志地域の方に配りましたが、なかなか集まらず……。
お一人ずつお願いをしているとき、「子どもの頃は学校行事で笹やよもぎを採って、それが売れたお金で学校の備品を買っていた」なんて話をしてくださる方もいました。
編:昔の習慣として笹やよもぎを採っていた方は、現代でも笹やよもぎがお金になるなんて驚かれたのではないですか?
小池さん:そうですね。〈江口だんご〉の商品化になったことも手伝って、少しずつ採り手も増えていきました。
笹やよもぎが売れ、雑草もなくなり、さらに誰もが知っている〈江口だんご〉の商品になるという循環が生まれています。
編:採り手の方たちの反応はいかがですか?
小池さん:皆さん70〜80代の方たちですが、とてもうれしそうです!「〈江口だんご〉の笹団子の材料を採っている!」と思えば気分も違いますよね。
この地域も高齢化が進んでいますが、皆さんとてもお元気で、私は採り手の方々と会話できることがうれしいんです。
5月から笹とよもぎのシーズンが始まるので「そろそろ始まるね、小池さん!」なんて声かけられたりして。
編:いいですねぇ!楽しそうな様子が伝わってきます。この活動の種が、次世代へと引き継がれ、地域の誇りとなり、新しい物語が花開くことを願っています。